精神病とニーバーの祈り

既に十分頑張っていて、これ以上頑張れないと思ったときは、もう限界に近いのかもしれない。

そういう時、健常者なら限界に挑戦するってのもありだと思う。

でも、僕みたいに一度重い病気になってしまった人は、ムリが利かない。

限界まで頑張ってしまったらそれこそまた壊れてしまう。

一生ムリをしてはいけない身体なのである。

「ムリをしてはいけない」と書くと、自分がなんだか凄くポンコツな感じに思えてくる。

でも、病気だから仕方がない。

「ムリをする」ことは、いい意味で諦めて手放すしかないなと思ってる。

「自分が変えることができるものについては、変える努力をする。

自分で変えることができないものについては、受け入れる。」

若干ニュアンスが違うが、そんな感じの言葉が「ニーバーの祈り」にあり、初めて聞いたとき、これだ!って思った。

「ムリが利かないこと」や「薬を飲まなきゃならないこと」などは、自分で変えることができないので、受け入れるしかない。

変えることができないことについてグチグチ悩んでも無意味だ。

逆に、自分で変えることができるもの、可能性があるものについては、別に諦めなくたっていい。

ニーバーの祈りは、加えて、「変えることができるもの」と「変えることができないもの」を識別することが重要であると示唆している。

自分にとって「変えることができるもの」ってなんだろう。

漠然と思いつくのは、まずは日々の生活かなと思う。

「今」の行動はある程度自分が変えることができる。

その変えた「今」の行動の積み重ねが、未来へと繋がっていくのだと思う。

逆に「変えることができないもの」は、過去や自分の病気などかな。

過去について、「ああすれば良かった、こうすれば良かった」とグチグチ悩んでいても無意味だ。

また、病気やそれに付随する「薬を飲むこと」や「ムリをしてはならないこと」などに関しても、それに関して悩んでいても変えようがないのだから、全く建設的ではない。

変えることができない事実を踏まえて、それに対する対処であったり工夫であったりを考えることが大切だと思う。

最後に、ニーバーの祈りを引用して、今日の記事は終わりにしたいと思う。

以下引用

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THE SERENITY PRAYER

O God, give us

serenity to accept what cannot be changed,

courage to change what should be changed,

and wisdom to distinguish the one from the other.

Reinhold Niebuhr

ニーバーの祈り

神よ、

変えることのできるものについて、

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、

それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、

変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)

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(引用元)大木英夫『終末論的考察』23頁(中央公論社、1970)

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