うる次郎 過去編~3~

閉鎖病棟に入院になった理由としては、異常なほど興奮して暴れたからである。

精神科的にいうと、躁状態っていうのが正確なのだろう。

それもかなり酷い状態であったから、最初の1週間は通称隔離室に身体を拘束されていた。

僕はひたすら「これは重大な人権侵害だ~!弁護士を呼んでくれ~!」と叫んだり、大声で歌を歌ったりしていた。

しばらくして落ち着いてから、拘束を解かれ、普通の部屋に移された。

なんか異様な雰囲気だなと最初は思った。

でも、身体の底から無尽蔵にエネルギーが湧いてくる感覚と本当の自分を解放した感覚が爽快すぎて、ここの異様さに着目する余裕はなかった。

とにかく動き回ったり騒いだり落ち着きがなく、元気いっぱいにはしゃいでいた。

これから本当の地獄が待ってるとも知らずに。。。

でも、さすがにその前に受けていた面接が落ちていたのはショックを受けた。

さらに追い打ちをかけるように、現役の年齢でセンター試験などの一般入試はドクターストップで受験すらできなかった。

僕は悔しくて悔しくて、病棟の部屋のベッドの中でむせび泣いた。

その後とどめを刺すかのように、病名の告知がされた。

双極性障害、躁鬱病であること。

一生付き合っていく病気であること。

薬もずっと飲み続けなければならないこと。

この3点を告知された日から僕は、足掻き、苦しみ、のたうち回る人生を覚悟した。

希望という眩いばかりだったはずの光は急に薄暗くなり、暗澹たる曇天が心に広がっていった。

躁状態が落ち着くまでに、2か月くらいかかった。

3ヶ月目でやっと退院ができたが、今度は鬱状態になっていった。

抗うつ剤を主治医が処方し、それがトリガーなのか未だにわからないが、その後、意思疎通が取れない文字通り廃人状態になった。

また即入院になった。

この時に、診断名は、躁鬱から統合失調症に変更された。

それから19歳の夏までずっとほぼ廃人だったが、秋くらいになるとまだぼーっとはしているものの辛うじて意思疎通はとれるようになったので、退院となった。

医者や病院側にデイケアを強く勧められたが親が断った。

僕はとりあえず、大学に行かなくてはと思っていたので、その年の秋にセンター試験の願書を書いたが、ミミズが這ったような文字しか書けなかった。

しかし、徐々に回復し、冬にはセンター試験と国公立大学、何校かの有名私大を受験した。

あまり成果は芳しくなかったが、とりあえず受かった国公立の大学に入ることにした。

~続く

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