引きこもりと精神障碍者と事件と


最近、当事者の精神衛生上、あまり良くない事件(川崎殺傷事件、元農林水産省次官の事件、大阪拳銃強奪の事件)が続いている。

「引きこもり」「精神障碍者」という単語が、ただでさえネガティブなワードであったのに、まるで犯罪者予備軍のような印象を当事者の僕でさえ持ってしまう。

それと、2chの創始者であるひろゆきが言っていた「無敵の人」というネットスラング。

無敵の人とは、要は「失うものが何も無い人」って意味みたいだが、具体的にいうと、引きこもり、精神障碍者、無職。

そういう社会的属性の人たちのことを指しているのだろう。

通常の人が犯罪を犯すのは、社会的信用がなくなったり職がなくなったり家族が露頭に迷うなど、大切なものを失ってしまうという大きなリスクが伴うものだ。

しかし、ひろゆき曰く、無敵の人には、失うものがそもそもないのだから、犯罪を行うことはノーリスクであると。

 

今回の事件についてであるが、「上記の一連の事件は、無敵の人(引きこもり・精神障碍者)が引き起こした!だから引きこもり、精神障碍者は危険だ!」

そういうストーリとして捉えている、あるいは捉えたい人が多数観測される。

そして、その攻撃の矛先を、容疑者・被疑者と同じ属性である引きこもりや精神障碍者に向けている発言が多く散見される。

しかし、実際のところ、精神障碍者の犯罪率は一般人のそれより低い、と法務省発行の犯罪白書のデータではそうなっているし、精神科医の斎藤環氏によると、引きこもりも非常に犯罪率が低い集団としか言いようがない、ということだ。

まぁ、報道の在り方も問題はあるが、それよりも、事件が起きるたびにそれに共鳴してあることないことまくし立てる一般人も衆愚的だと思う。

 

確かに事件は痛ましい。

しかし、その痛みから出る負の感情をぶつける相手は他の引きこもり、精神障碍者であって良いのであろうか?

答えは否であるはずだ。

2次的な事件の防止のためには、被害者以外の部外者が必要以上に騒がないことだと思う。


ここからはほぼ個人の感想になってしまうのだが、これらの事件の発生原因は、単一的なものではないと思う。

色々な要因が複合的に積み重なって起きてしまったのだと思うのだ。

先程では否定してしまった感じではあるが、失うものをあまり持っていない、社会との関わりが少ない、孤立している。

そういう要因も多少はあるのかもしれない。

事件を防ぐためには、何かしら人とのつながりや社会との接点、失いたくない大切なものが必要で、それ自体が事件発生のストッパーになりうるとも僕も思う。


僕が被害者ではないから言えることかもしれないが、事件が全く起きないのは社会として逆に異常だ。

それこそ人権思想を無視し、国家が完全に人民を支配・管理する体制だったら現代の技術的には可能かもしれないが、そんな社会なんてディストピアであろう。

痛みを共有することも人権思想の範疇なのだから、その痛みを少しでも予防・緩和するために我々にできることは、何であるか。

もう少し落ち着いて考えてみるべきであるように思う。

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