可能性と苦しみ


小中の頃のいじめは、当時の僕にとっては、物凄く辛いものでした。
しかし、この苦難の先には、きっと素敵な未来がある。
そう思えたので、耐えられました。自分の未来の可能性を信じることができたからです。

 

僕は、元々自信があまりない少年でしたが、学力や知能においては、ある程度自信がありました。
しかし、17歳で発症したこの病気は、小中時代のいじめをはるかに上回る苦痛と絶望を僕にもたらしました。

 

なぜ、それほどまでの絶望であったのでしょうか。

それは色々な要因があったと思います。

 

未だに差別・偏見があり、禁忌とされている病気であること。
病気の症状で、あるいはその症状を抑える薬の副作用で、実際に苦しいこと。
それらも確かに苦しみの原因ではありましたが、僕の絶望の根源的な原因ではありませんでした。

 

一番の根本原因は、唯一の希望であった自分の可能性という光が、失われてしまったように感じられたことでした。

僕がそれまで自身の生きる意味として拠り所としてきたものは、「自分の可能性」だったのかもしれません。

それを奪われてしまったように感じました。

 

これ程の苦痛や絶望はそれまで味わったことがなかったので、挫けそうになりました。

そのような状況の中でも、僅かに差し込む光を探し出し、たとえ幻想だとしても、その頼りない明かりを信じ、僕は進みました。
それは、深い闇の中で蛍の光を頼りに手探りで歩いているようなものでした。

 

時には見えない段差に足を取られ転げ落ち、時には行き止まりの壁に激しくぶつかり、また時には泥沼に足を取られつつも、前に歩を進めようとしました。

 

これまで、足掻いて足掻いて、狭まってしまった自分の可能性という僅かな光を絶えず見出しては、ただひたすらに頑張って来ました。

 

その過程で一番辛かったことは、やはり、理想と現実とのギャップでした。

最低限こうあるべき、こうありたいと思う自分にすら到達出来ず、激流に飲まれ、舵が効かない全く思い通りにならない人生という船旅を心底呪いました。

 

可能性という微かな光は、僕に生きる希望や目標を与えてはくれましたが、それと同時に酷い鈍痛をもたらしました。
その光は道標にするには弱すぎて、頼りにすると返って辛くなりました。

その鈍痛は、年齢を重ねるにつれてしぼんでいく僕の可能性と呼応するように、徐々に僕を蝕み追い詰めていきました。

 

そして今、ついに限界が来てしまったのだと思います。


僕は、間違っていたのでしょうか?
間違っていたとして、何に間違えてしまったのでしょうか?


・・・

おそらく、努力の方向性を間違えてしまったのかなと思います。
進むべき道の選択を間違えてしまったのです。

 

僕は失敗してしまいました。
それでも、残りの人生は続きます。
これからも、生きていかなければならないのです。

僕は今後どうすればよいのかまだわかりませんが、今度は選択する道を間違えないように慎重にいかなければならないと思っています。

統合失調症おすすめの本 新刊

統合失調症スペクトラムがよくわかる本

かつて治療がむずかしい精神疾患と思われていた統合失調症。近年、治療法が進み、治らない病気ではなくなりました。希望を捨てずに前向きに治療に取り組めるように、薬物療法から社会復帰の方法まで最新情報を盛り込んで解説します。

ブログランキング登録中。クリックが励みになります (*^-^*)
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ