精神病患者が他人と相互理解するためには

 

人は、一人では生きていけない。
生きるためには、誰かと関わらなければならない。
そして、人と関わるということは、ある程度お互い理解し合えた方が、当然ではあるが良い関係を構築できるわけだ。

他人と理解し合うというのは、①自分が他人を理解すること、②自分が他人に理解されること、この2つが必要な条件だ。

①と②どちらが大事かは、『論語』から引用した次の文では次のようになっている。
「子曰く、人の己れを知らざることを患えず、人を知らざることを患う。」
訳「自分の価値を知ってくれないことを気にかけるよりも、
自分が人の価値を知らないことを気にかけるべきだ。」
(参考文献 心にひびく「論語」 中村 信幸 永岡書店)
つまり、孔子は、①つまり自分が他人を理解する方を重視したということだ。

僕も①のほうが大事だと思う。
少し論点がずれるが、「信頼されるには、まず信頼すること」
これは、僕の信条だ。
自分が主体的に他人を理解したり信頼しないと、理解されないし信頼もされないと僕は思う。

では自分が他人を理解するためには、どうすればいいのだろうか。
それは、相手が自分とは「違う」ということを認識すること、これに尽きると思う。
自分と相手は「違う」、思想も信条も宗教も文化も生活スタイルも全部「違う」
それを認識しているかどうかで、他人への理解は違ってくると思う。

しかし、これは健常者一般に言えることであるように思う。
精神病患者であると、①自分が他人を理解すること、よりも②自分が他人に理解されることの方が圧倒的に難易度が高い。
周りに理解がないと、精神病患者はその環境に酷く苦しむことになる。

周りに理解されることが生きやすさ獲得における至上命題であると言っても過言ではないだろう。

それゆえ、精神病患者は、周りが自分のこと全くわかってくれないことに関して、愚痴ったり、不満を抱きがちでもある。
しかし、完全に理解されるなんて無理な話だ。
ある程度のところで割り切るしかない。

他人に自分のことを理解させる努力をしたのであれば、あとは「あぁ、違う星の人が何か言ってるな」くらいの方が気が楽になるんじゃないかな。

要するに、まとめると健常者の場合は、①自分が他人を理解することで自然と②自分が他人に理解されることが達成できるのに対し、
精神病患者の場合は、②自分が他人に理解されることが困難であるので、①⇒②は自然とは達成できないと考えられる。
そして、精神病患者は、①も必要ではあるが、他人に自分を理解させる努力をする方が良い人間関係を作る上で重要度が高いのではないかと思う。

 

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